📚 あなたは奇人になりたい?マネはしていけない?成功は生のエビデンスを知ることです。 8.25

 

ヒントになるかもしれません。😎

 成功法則のどれが真実なのか

 目標達成のために不可欠な要素として世間一般で広く信じら れてきたことの多くは、手堅くて正論だが、今や完全に問違っ ている。 この本ではそうした定説の誤りをあぱき、大成功する人と一 般の人を分けている科学的背景を探り、私たちがもっと成功者 に近づくためにできることは何かを、最新のエビデンスから探る。場合によっては、成功者を真似しないほうが賢明であると 学ぶことになるだろう。

 

世の中で信じられてきた成功法則のどれが真実で、どれが空論なのだろうか。
「いい人は勝てない」のか、それとも「最後はいい人が勝つ」 のか?  諦めたら勝者になれないのか、それとも頑固さが仇になるの か? 自信こそが勝利を引き寄せるのか?自信が妄想に過ぎない のはどんなときか? 仕事量がすべてなのか、ワーク・ライフ・バランスを考えた ほうがいいのか?


本書の各章で、こうした成功にまつわる神話を検証していきたい。 まずはそれぞれの説の長所、次いで反論や矛盾を取りあげる。つまり裁判のように賛否両論を検証していき、最後に私た ちにとって最もプラスになる結論を一導きだしていくのだ。

 

成功とは、テレビで華々しく取りあげられるものとは限らない。パーフエクトであることより、自分の強みをよく知り、そ れを最大限生かせるような状況に身を置くことが何より重要だ。

 

なにもジュア・ロビックの真似をして正気を失う必要はないが、醜いアヒルが自分に合った池を見いだして白鳥に大化けす ることはままある。あなたが周りから浮いていた理由、封印し ようとしてきた癖、学校で愚弄されてきた弱点こそが、いずれ は最大の強みに転じるかもしれない。 ではさっそく、その話題から始めよう。

 

なぜ高校の首席は億万長者になれないのか


ボストン・カレッジの研究者であるカレン・アーノルドは、 1980年代、90年代にイリノイ州の高校を首席で卒業した 81人のその後を追跡調査した。

 

彼らの95%が大学に進学 し、学部での成績平均はGPA3.6で(3.5以上は非常に 優秀とされ、2.5が平均、2以下は標準以下)、さらに60%が1994年までに大学院の学位を取得。高校で学業優秀 だった者が大学でも成績良好なことは想像に難くない。

 

その90%が専門的キャリアを積み、40%が弁護士、医師、ェンジ ニアなど、社会的評価の高い専門職に就いた。彼らは堅実で信頼され、社会への順応性も高く、多くの者が総じて恵まれた暮 らしをしていた。

 

しかし彼らのなかに、世界を変革したり、動かしたり、ある いは世界中の人びとに感銘を与えるまでになる者が何人いただ ろう?答えはゼロのようだ。

 

アーノルドの見解は次の通り。

「首席たちの多くは仕事で順調に業績を重ねるが、彼らの圧倒的多数は、それぞれの職能分野を第一線で率いるほうではな い」 「優等生たちは、先見の明をもってシステムを変革するという より、むしろシステム内におさまるタイプだ」

 

この81人がたまたま第一線に立たなかったわけではない。 証査によれぱ、学校で優秀な成績をおさめる資質そのものが、 一般社会でホームランヒッターになる資質と相反するのだという。

 

では、高校でのナンバーワンがめったに実社会でのナンバー ワンにならないのはなぜか?

 

理由は二つある。

第一に、

学校とは、言われたことをきちんとする能カに報いる場所だからだ。学カと知的能カの相関関係は必ずしも高くない。

ⅠQの測定には、全国的な統ーテストのほうが向いている。

学校での成績は、むしる自己規律、真面目さ、従順さを 示すのに最適な指標である。

アーノルドはインタビューで、「学校は基本的に、規則に従 い、システムに順応していこうとする者に報奨を与える」と 語った。81人の首席たちの多くも、自分はクラスで一番勤勉 だっただけで、一番賢い子はほかにいたと認めている。

 

また、 良い成績を取るには、深く理解することより、教師が求める答 えを出すことのほうが大事だと言う者もいた。首席だった被験 者の大半は、学ぶことではなく、良い点を取ることを自分の仕事と考える「出世第一主義者」に分類される。

 

第二の理由は、

すべての科目で良い点を取るゼネラリストに 報いる学校のカリキュラムにある。学生の情熱や専門的知識は あまり評価しない。ところが、実社会ではその逆だ。高校で首 席を務めた被験者たちについてアーノルドはこう語る。

 

「彼らは仕事でも私生活でも万事そつなくこなすが、一つの領域に全身全霊で打ち込むほうではないので、特定分野で抜きん でることは難しい」

どんなに数学が好きでも、優等生になりたけれぱ、歴史でも Aを取るために数学の勉強を切りあげなけれぱならない。

専門 知識を磨くには残念な仕組みだ。だがひと度社会に出れば、大 多数の者は、特定分野でのスキルが高く評価され、ほかの分野 での能カはあまり問われないという仕事に就くのだ。 皮肉なことに、アーノルドは、純粋に学ぶことが好きな学生 は学校で苦労するという事実を見いだした。

 

情熱を注ぎたい対象があり、 その分野に精通することに関心がある彼らにとっ て、学校というシステムは息が詰まる。その点、首席たちは徹 底的に実用本位だ。

 

彼らはただ規則に従い、専門的知識や深い 理解よりひたすらAを取ることを重んじる。

学校には明確なルールがあるが、人生となるとそうでもな い。だから定められた道筋がない社会に出ると、優等生たちは しばしぱ勢いを失う。

ハーバード大学のショーン・エイカーの 研究でも、大学での成績とその後の人生での成功は関係がない ことが裏づけられた。700人以上のアメリカの富豪の大学時 代のGPAはなんと「中の上」程度の2.9だった。

 

ルールに従う生き方は、成功を生まない。良くも悪くも両極 端を排除するからだ。

 

おおむね安泰で負のリスクを排除するかわりに、目覚ましい功績の芽も摘んでしまう。ちょうど一早のエ ンジンにガバナー(調速機)をつけて、制限速度を超えないよ うにするのと同じだ。

 

致死的な事故に遭う可能性は大幅に減る が、最速記録を更新することもなくなる。 ルールに従い、いつも安全策を取る者が頂点を極めないのな ら、ひとかどの成功者になるのはいったい誰なのか?

普通の暮らしができない天才ピアニスト

天才ピアニストのグレン・グールドは重度の心気症(病気や 細菌に脅える神経症の一種)だった。

 

いつも手袋をはめていて(何枚も重ねていることも珍しくな かった)、カバンいっぱいに薬を詰めて持ち歩いていた。人前 で演奏するのも、移動してホテルに泊まらなければならないコ ンサートツアーも大嫌い。

 

だいたい三割の公演を取り止めに し、ときには、せっかく日程を組みなおした公演を再度キャン セルしたりする。「コンサートには行かない。自分のでさえときどき行かないん だ」とは本人のジョーク。

 

たしかに変人だが、同時に、20世紀を代表する偉大な音楽 家でもあった。

 

グラミー賞を四度受賞し、アルバムを何百万枚 も売り上げた。 しかも、グールドはただ病気恐怖症だったわけではない。さ まざまな意味で異様だった。

 

毎朝六時に床に就き、午後に目覚める。搭乗予定の飛行機が 不吉に思えると、チケットをキャンセルした。極度の寒がり屋 で、夏でも冬服で過ごし、日用雑貨をごみ袋に入れて持ち歩い た。フロリダでホームレスと間違われ、警察官に逮捕されたこ ともある。

 

むちゃくちゃな運転ぶりから、彼が運転する車の助手席は友 人たちのあいだで”自殺席”と呼ばれた。「まあ、上の空で運 転してるかな。ときどき赤信号を通り抜けるのはたしかだしね。でも、青信号ではけっこう止まってる。ちっとも褒められ ないけどね」と本人も認めている。

 

演奏ぶりも異様極まりない。ケビン・バッザーナは、グール ドの伝記のなかで「よれよれの服装で猿のように鍵盤にかがみ こみ、腕を振りまわし、胴を回転させ、頭を上下に揺らしながら…」と説明している。

 

念のために言うが、彼はジャズピア ニストでもエルトン・ジョンでもない。演奏するのはバッハ だ。 ”特製の椅子”のことも忘れてはならない。グールドの椅子は 床から30センチほどしかない低いもので、浅く前のめりに座 るのに具合がいいように前方に傾斜していた。

要求の多い息子のために父親が折り畳み椅子の脚を切って作ってくれた椅子 だった。グールドは生涯この椅子を使い続け、世界中どこへで も持って行った。長年使ううちにあちこちが傷み、しまいには 針金やテープでつなぎ止めてあったので、きしむ音がレコード に入り込んだほどだ。

 

これほどエキセントリックでも、グールドの演奏はしびれるほど感動的だった。名指揮者のジョージ・セルに「天才とは彼 のことだ」と言わしめるほどに。 グールドの演奏技能、名声、成功は、決して簡単に成し遂げ られるものではない。

 

まさに神童だった彼は12歳にして一人 前のプロ演奏家たる技術を身につけていた。だがその反面、人 前でぎこちなく、繊細すぎる子だったので、周囲に子どもがい る「環境に馴じめず、家で何年か家庭教師についていた。 もしかしたら、グールドは世の中でやっていけない人間に なっていたかもしれない。

 

ではどうやって成功し、t偉大な音楽 家として名を馳せたのか?

 

幸運にも、彼はその繊細な気質に最適な環境に生まれた。

 

両親は、ほとんどありえないほど彼を惜しみなく支援した。母親 はひたすらグールドの才能を伸ばすことに献身し、父親は息子 の音楽教育に年間3000ドルを費やした(大したことないよ うに聞こえるかもしれないが、1940年当時の3000ドル は、トロント住民の平均年収の二倍に相当する)。

 

こうした惜しみない援助と、神経症によって助長された本人 の飽くなき労働意欲をもって、グールドの才能は開花した。彼 はレコーディング作業に入ると、スタジオに1日16時間、週 に100時間も龍ったという。

 

録音スケジュールを組むときに カレンダーなど目に入らない彼に、世の中の人は感謝祭とクリ スマスには働きたがらないと、誰かが伝えなければならなかっ た。

 

演奏家の卵からアドバイスを求められると、彼はこう言った。「演奏以外のすべてを諦めることだ」 順調にキャリアを築いていたグールドだが、突然聴衆の前か ら姿を消す。

「人生の後半は自分のために生きたい」と、32歳でコンサート活動の中止を宣言したのだ。生涯に行ったコン サートは全部合わせても300回足らずで、おおかたの演奏家 なら三年ほどでこなせる回数にすぎない。

 

その後も彼は狂ったようにピアノに打ち込んだが、聴衆の前では二度と演奏しなかった。仕事は、彼が望む世界を保てるス タジオ録音だけに限られた。だがなぜか、公演活動からの引退 により、音楽界でのグールドの影響カは衰えるどころか逆に強 まった。

 

伝記を書いたバッザーナによれば、彼は「劇的な形で姿を消すことによって存在感を維持」し続けた。そして1982年に亡くなるまで仕事を続け、その翌年、グラミー殿堂賞を 受賞した。

 

自らの奇行ぶりについて、グールドはよくこう言った。

 

「自分では、それほど変わってると思わない」。

 

バッザーナはこう 分析する。

 

「思考や言動のすべてがほかの人とはかけ離れてい るのに、自分ではそれほど変わり者だと思っていないーそれこそが奇人たる証拠なのだ.........。                                                                                                                                                        *本文より抜粋

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