💜 あなたは無意識に手抜きしていませんか?

  

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フランスの工学者、マクシミリアン・リンゲルマンは、

1913年に馬の労働カを調査し、次のことを発見した。

 

馬車を2頭の馬で引かせても、1頭で引かせたときの2倍の働きはしない。

 

この結果に驚き、人間で実験してみた。彼は何人かの男性に1本の綱を引いてもらい、それぞれが綱を引くために使った力を計測した。

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平均では、2人で1本の綱を引いたときの1人当たりの力は、

1人で引いたときのカの93% だった。

3人になると85%になり、

8人ではわずか4%だけしかカを出していなかった。

 

この結果には誰もが驚くだろうが、心理学者だけは例外である。心理学ではこの現象を「社会的手抜き」と呼んでいる。

 

「社会的手抜き」とは、ひとりひとりの働きぶりが直接わかるような場面ではなく、グループ作業のように力を合わせる場面で他人に気づかれることなく手を抜く現象を指す。

 

スポーツを例に挙げると、

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ボート競技では「社会的手抜き」が発生するが、

 

陸上のリレー競技では発生しない。

リ レーの場合には、ひとりひとりの貢献度がはっきりとわかるからだ。

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「社会的手抜き」は合理的な行動である。

半分の力しか出さなくても誰にも気づかれないなら、どうしてわざわざ全力を出す必要がある?という理届である。

要するに、 「社会的手抜き」は、お互いにごまかしあっている状態である。

たいていの場合は、意図的ではなく、無意識にごまかしている。馬車の馬と同じだ。

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綱を引く人が多くなればなるほど1人の引く力が弱くなる のは、

驚くべきことではない。

驚くべきは、綱を引く人が多くなってもまったくカを出さない人はいないということだ。

どうして完全にサボろうとはしないのだろうか?

その理由は、まったく働かないと目立つからだ。

 

そして、グループ からはじき出されたり、

自分に関して悪い評判が立ったりといった負の結果をともなうからだ。

 

わたしたちには、どの程度なら手を抜いても

気づかれないかといった繊細な勘が働いている。

 

「社会的手抜き」は肉体的な作業だけに見られる現象ではない。

 

わたしたちは精神的にも手を抜いている。

たとえぱ会議の席でだ。

会議の参加メンバーが多くなれば多くなるほど、 ひとりひとりの参加意欲は低くなる。グループの大きさがある一定のレベルに達すると、個々の労働カは落ちなくなる。そこから先は

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、メンバーが20人いようが100人いようが関係ない。すでに手抜き度が最高に達しているからだ。

 

次に進もう。

個入プレーよりチームワークが大事ー組織の中では、

ずいぶん前からこう言われているが、この考え方 はどこから来たのだろうか?

おそらく日本から輸入されたのだろう。

 

日本30年前に世界市場を自国の製品で埋めつくした。

経営学の専門家たちは日本の急激な経済成長を入念に調査し、日本の工場労働者はグループで働いていることに気がついた。

そこで、この形をそのまま取り入れた。

だが、うまくいった部分もあれば、うまくいかない部分もあった。

日本では非常にうまく機能していても(わたしが思うに、日本では「社会的手抜き」はほとんど起こらない)、考え方の違 うアメリカ人やョーロッパ人には、そうはいかなかったのだ。

 

少なくとも、わたしの生活するドイツやスイスでは、

グ ループのメンバーができるだけ異なる分野の専門家で構成されている場合に、

個人プレーよりもチームワークのほうがうまくいくことが証明されている。

 

それには理由がある。

異なる分野の専門家のグループでは、個々の業績が評価できるからである。

 

「社会的手抜き」には興味深い効果がある。

グループ行動で手が抜かれているのは、労働力だけではない。

 

グループでの行動に対する責任感も薄れていく、

誰でも、悪い結果を自分だけのせいにはしたくない。

 

極端な例は、

第2次世界大戦後 に開かれたナチスの犯罪を裁いたニュルンべルク裁判だ。

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ナチスの裁判ほどセンセーショナルではないにしても、

どこの 企業でも、監査役や経営陣の中には責任を逃れようとする人がいる。

 

グループにしたがっていさえすれば自分1人で責任をとらなくてもいい、

と思ってしまうのだ。

 

心理学の用語ではこれを「責任の分散」と言う。

 

責任を1人で負わずに分散することから、

個人よりも集団 で行動するほうが大きな危険をおかす傾向がある。

この現象 を「リスキー・シフト(危険な転向)」と呼ぶ。

リスクのあるほうへ移動するという意味だ。

 

グループディスカッションでは、

1人で判断するときより も、

より大きなリスクをともなう決定を下してしまう傾向が

あることが証明されている。

 

「失敗しても自分1人で責任を負うわけではない」

という考えからリスキーな選択をしてしまうのだ。

 

たとえば、巨額な資金を動かす企業や年金機構の戦略チーム、さらには核兵器を扱う集団内で「リスキー・シ フト」が起こると大変深刻な結果を招くだろう。

 

誰かがボタンを押したら? ↓

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(日本は始末もできないのに原発は売っていますが......)


結論

グループの中にいると、1人のときとは異なる行動をとる。

しかし、それはグループにとってはデメリツトになることもある。

 

グループ行動のデメリツトを取り除くには、

個人個人の業績をできるだけはっきりさせることだ。........というお話。

 

実力主義バンザイ !

能力主義社会バンザイ ! 

官僚主義反対😎

 

今が未来への岐路なのです。勇気と強い心をもって乗り越えましょう!😐 

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