💜 他人が気になるから生き残れる? 20.8.25

あなたは、今、新聞を開き、

どこかの企業のCEOが経営悪化のために辞職したという記事を読んでいる。

 

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スポーッ面では、あなたのお気に入りのチームがX選手、

あるいはY監督のおかげで優勝したことを知った。

 

「人の顔が見えなければ記事にならない」

 

これが新聞社の 編集局では決まりごとになっている。

 

なぜなら、ジャーナリストは(それに読者も)「人物本位のワナ」にハマっているからだ。

 

この落とし穴は、ある出来事を説明するときに、人 物に焦点を当ですぎて、外からの影響や状況といった原因を 過小評価してしまうことを言う。

 

アメリカのデューク大学の研究グループは、1967年に次のような実験を行った。

 

演説がうまいことで知られているある人物に、

フィデル・ カストロを称える内容のテキストを読みあげてもらった。

 

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(反米の英雄)


被験者たちは次のように知らされていた。

 

この演説の内容は、 演説者の政治的な考えとは関係なく、演説者は与えられたテキストを読みあげているだけである。

 

それなのに、ほとんど の被験者は、演説の内容には話し手の意見が反映されていると信じていた。

 

聴衆は、演説の内容を外からの影響(カストロを称えるように仕向けた教授)ではなく、演説者本人の考えと結びつけたのである。

 

「人物本位のワナ」は重大な事件においても見られる。

 

たとえば、戦争の「責任」を他人に転嫁するときだ。

 

第2次世界 大戦の責任はヒトラーにある、第1次世界大戦を引き起こしたのはサラエボの暗殺者だ、といった具合に。

 

戦争は予測不可能で、その原因がどこにあったのかについては

今日になってもわからないというのに、責任を個人になすりつけようとするのである。

 

 

金融市場や環境問題にも同じことが言える。

 

また、企業の経営が悪化すると、その原因は、企業の幹部 たちにあるのではないかと考えてしまいがちだ。

 

経済的な成功は、指導テクニックの優劣より、一般的な経済状況やその 業界への関心に左右されている。

 

そうとわかっていても、 「人物本位のワナ」にハマり、特定の入物を評価の基準にし てしまう。

危機に瀕している業界では、どれほど頻繁にCEOが交代させられていることだろう。

 

反対に、

波に乗っている業界では、めったに交代させられない。

 

これは興味深い事実である。

 

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サッカーチームの成績が悪いときに監督を代えるのとまったく同じだ。

 

 

わたしはよくコンサートに出かける。スイスのルツェルン で暮らしていると、

すばらしいクラシック音楽の催しに賛沢 な気分を味うわえる機会も多い。

 

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コンサートの体憩時間に耳にする会話といえば、

いつも決まって、指揮者、またはソリストのことばかり。

 

 

初演のときは例外として、作品自体が話題にのぼることはめったにない。

 

どうして話題にならないのだろうか?

 

音楽の本来のすばらしさは作品にあるのではないだろうか。

作曲とは、まっさらな紙の上に旋律をつくり出していくことだ。

 

同じ曲を異なる演奏者で聴き比べるよりも、違う曲を聴くほうがはるかに 大きな違いがある。

それなのに、わたしたちは指揮者や演奏者にばかり焦点を当でてしまう。

 

楽譜には指揮者やソリストとは逆で顔がないからだ。

 

作家としても、「人物本位のワナ」に出くわす機会がある。

 

朗読会を終えたあとで最初に受ける質間は、いつも決まっている。

 

本当にいつも同じ質間なので驚くほどだ。

「こ の小説のどの部分がご自分の体験ですか?」

 

聴衆に向かって叫んでみたい。

「わたしのことではなく、この本のことを

質間してくれ。

文章や言葉や、物語としての質のほうが重要ではないか !」

 

本当は、こんなふうに言い返したいところだ。

 

だが、場合によっては「人物本位」にならざるを得ない。

 

他人への関心は、人間の進化の過程において必然的に生まれたものである。

 

というのも、

大昔はグループに属することが 生き延びるために必要不可欠な要素だったからだ。

 

グループ から追放されると、確実な死が待ちかまえていた。

生殖も自己防衛も、さらには狩猟も、単独ではほぼ不可能だった。

 

自分以外の人間が必要だった。一匹狼では遺伝子を残せな い。

だからこそ、わたしたちは他人が気になって仕方ないのだ。

 

わたしたちは、

起きている時間の90%は他者のことを考え、

ほかのことを考えるために使っている時間は10%しかない。

 

 

結論

わたしたちは、舞台の上の役者に惹きつけられるかのように、人に関心をもち、

人に焦点を当てて、ものごとを評価してしまう。

 

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しかし、人間は自分の性格や考え方のみにしたがって行動しているわけではない。

周りの状況に影響 されるからだ。

 

目の前で起こっていることを本当に理解するには、

目の前にいる人物ではなく、

その人が受けている影響やその人が置かれている状況に目を向けることだ。  

....という。😐 

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