📖 ゼロリスクが幸せ? 

👨映画 ”ディアハンター”              

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あの究極の場面がいまでも刺激的です。

 

あなたはそのロシアンルーレットに参加しなければならない。

6連発のリボ ルバーのシリンダーをカラカラカラと回し、銃口をこめかみに当てて引き 金を引く。

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ここで、

第1の質問。

あなたはシリンダーに弾が4発入っていることを 知った。

ここから弾を2発取り出してもらうのにいくら払うだろうか?

 

第2の質間。

あなたは、リボルバーに弾が1発しか入っていないことを 知っている。

この1発の弾を取り除いてもらうのに、どれくらいの価値を つけるだろうか?

 

このケースでは、ほとんどの人が同じ答えを出している。

第2の状況で は死亡する可能性がゼロになるので、第1の状況よりも多くお金を積んで もいいと考える。

 

確率を計算した結果だけから言えば、この選択はナンセ ンスだ。

なぜならば、死亡する可能性が第1の状況では「6分の2低くな る」のに対し、

第2の状況では「6分の1しか下がらない」。

 

それをもと に計算すると、第1の状況は第2の状況よりも「2倍の価値がある」はず なのだ。

 

それなのに、わたしたちは、危険がまったくない状態のほうが価 値が高いと思ってしまう。

 

わたしたちはリスクの大きさを区別するのが苦手である。

 

リスクの内容が深刻であればあるほど、

問題が感情的 なものであればあるほど(たとえば放射能問題)、

危険率が下がっても安心できないという傾向がある。

 

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シカゴ大学の2人の研究者が実施した実験では、

 

わたしたちは有毒化学物質による汚染の危険性が

99%ある場合でも1%しかない場合でも、

どちらも同じだけの恐怖を感じることが証明されている。

 

不合理ではあるが、 これが一般的な反応だ。

危険のまったくない状態(ゼロリスク)だけしか 価値があると思えないのだ。

 

わたしたちは、光に吸い寄せられる虫のよう にゼロリスクに引き寄せられ、

ほんの少ししか残っていない危険を完全に 取り除こうとして、

しばしば巨額の資金をつぎこんでしまう。

 

ほとんどす べてのケースに一言えることだが、

その資金を別のリスクを削減するために 投入できたかもしれないのである。

 

この判断ミスを「ゼロリスクのワナ」 という。

 

「ゼロリスクのワナ」が招く判断ミスの典型的な例は、

1958年にアメ リカで実施された食品添加物規制の大幅改正だ。

 

改正法では、発がん性の ある添加物は微量であってもリスクが認められる限り、食品に使用しては ならないとされていた。

 

この徹底した禁止(ゼロリスク)は、当初はすば らしいことのように思えた。

 

ところが結果的に、発がん性はないものの、

より危険な添加物が使用されるようになってしまった。

 

ゼロリスクを迫求するのはばかげている。

 

16世紀、スイスの医師であり 錬金術師でもあるパラケルススの時代から、

毒は分量によって毒にも薬にもなることが知られている。

 

所詮、アメリカが実施したような

食品添加物 を規制する法律をつくったところで意味はない。

 

というのも、

食物に含ま れている目には見えない

禁止された1 分子までをも取りのぞくことなど できないからだ。

 

そんなことをしようとすれば、農家は半導体製造工場の ように、

厳密に農産物を生産しなければならなくなる。

 

不純物がまったく 含まれていない自然食品の価格は100倍に跳ねあがるだろう。

 

コストを考えた場合、

リスクをまったくなくすことが意味をもつケースはほとんどない。

 

例外として考えられるのは、

たとえば研究施設から危険なウィルス が流れ出てしまったような、

途方もなく深刻な結果を招く事態ぐらいである。

 

交通事故のゼロリスクを達成するには、

制限速度を時速0キロメートル に制限するしかない。

 

しかし、そんなことは現実的ではない。

 

この場合にはゼロリスク達成はできないと考え、

はっきりと数字に表れている年間死亡者数を受け入れるのが賢明だ。

 

あなたが一国の長だとする。

 

そして、あなたはテロ襲撃の可能性を排除 しようとしている。

そこで、あなたは国民1人につき1人のスパイを配置する。

 

それぞれのスパイにさらにスバイをつける。

すると、たちまち国民 の帥%が監視する側の人問になってしまう。

 

危険分子を排除するために

国民同士が監視し合うような社会に

存続するカがないことを、

わたしたちは すでによく知っている。

 

株式市場はどうだろうか?

ゼロリスク、つまり絶対的な保障はあるのだろうか?

残念ながらそんなものは存在しない。

 

株を売った金を銀行口 座に入れておいたとしても安全とは言いきれない。

銀行が倒産する可能性 もある。

 

インフレがあなたの蓄えを食いつぶしてしまうかもしれないし、

通貨改革で財産を失うことも考えられる。

 

忘れないでほしい。

20世紀に、 ドイツでは新しい通貨を二度も導入しているのだ。

 

結論ゼロリスクに対しで抱く幻想に別れを告げよう。

 

貯蓄、健康、 結婚生活、友情、敵対関係、そして祖国。

何ひとつとしで確実なものなど存在しない。

そう考えて生きていこう。

 

確実なものは存在しないとはいえ、 幸いなことに失われにくいものは存在する。

 

それは、自分の内側からわき 起こる幸福感だ。

 

宝くじを当てて億万長者になろうが、

足が麻痺して歩け なくなろうが、

その人の本質的な幸福の感じ方が変わることはない。

 

その ことは実験結果でも証明されている。

 

「幸せな人は何が 起ころうがいつでも幸せであり、

不幸な人はいつでも不幸である。」      という説です。    

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コロナウイルスは絶対にゼロリスクでなければなりません。

オーバーにいえば人類破滅につながりますから。

 

.....2018年にアメリカは武漢の生物化学研究所の

危険を察知していたそうです。

 

もし中国の兵器開発だとしたら地球規模の犯罪です!

 

信憑性はあります。中国が平和目的で研究すると思いますか?

 

 

........しかし奥深い元凶は違います。

 

「戦争は勝てば何をしても良い」ということです。😶

 

 

究極は人類皆「与えることに幸福感を持つ」ことでしょうね。

他人に「一日一善」。🤨

 

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