🌎 443. トピックス・マインド 20.12.24

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あなたは、仲間と登山をしていた。すると、仲間がクレバスに落ちた。

 

*クレバス(crevasse)とは、氷床や雪上に現れる大きな割れ目のこと。

主に、雪山や雪渓といった場所で多く観測される。

 

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🚑あなたが救助隊を呼べばその人を助けることができた。

しかし、救助隊を呼ばなかったためにその人は死亡した。

 

別のケースを挙げよう。

あなたは、仲間と2人で登山をした。そして、仲間を故意にクレバスに突き落した。

やがて仲間は死亡した。

 

さて、どちらのケースのほうが罪は重いだろうか?

 

理屈から言えば、どちらのケースも同じくらい非難すべき行為だ。

 

救助を怠ったこと、故意に殺人をおかしたことも、どちらも結果的に仲間を死なせたのだから。

 

しかし、心の声が、手を下すよりも何もしなかったほうが罪は軽い、と訴えている。

 

この感情を「不作為のワナ」と呼ぶ。

 

「不作為のワナ」は、ある行動をとってもとらなくても、どちらの場合にも被害がでる

と判断したときに発生する。

 

行動してもしなくても同じ結果になる場合、

たいていの人は、行動しないこと(不作為)を選ぶ。そのほうが、同じ損害が発生しても、罪が軽く感じられるからだ。

 

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あなたは、薬剤の使用を承認する国の監督官庁の責任者だとする。

 

重病人のためにある薬品の使用を認めるべきかどうかという決断に迫られている。

その薬品には強い副作用がある。使用者の20%は薬が投与されるとすぐに死亡する。

しかし、80%の患者の命は救われる。あなたならどのように決断するだろうか?

 

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たいていの人は薬品の使用を禁止するだろう。

薬を認可しないことで助かったかもしれない20%の患者が命を失う事実よりも、

その薬品を使うことで5人に1人のの命がその場で奪われるほうがむごいことのように感じられるからだ。

 

不合理な決断だが,「不作為のワナ」の作用を考えれば理解できる選択である。

 

反対に、

あなたは「不作為のワナ」を自覚し、理性と道徳の名のもとに、薬を認可したとする。

そして予想通り、最初の患者が薬を使用した結果、死亡した。

さて、何が起こるだろうか? あなたは新聞で叩かれ、職を失うだろう。

 

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身を守ることを第一として
いる役人や政治家は、市民が「不作為のワナ」に陥り、積極的に行動を起こしたことに対して非難すると考えたほうがいい。

 

つまり、行動しないことが賢明だ。

 

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行動を起こさないほうが罪が軽いという考え方が、

わたしたちの中にいかに根づいているかは、司法が示している。

 

ドイツやスイスでは

積極的な死の幇助(安楽死)は、本人がはっきりとそれを望むという意思表示をしていたとしても、処罰の対象になる。
それに対して、延命措置を意図的にやめても処罰されない。
 
また、予防接種を受ければ病気になる可能性が低くなるのに
子どもに受けさせるのをためらう親がいるが、これも「不作為のワナ」が原因だ。
 
予防接種を受けることによって子どもに症状が出たら、親の責任になる。
 
だから、予防接種を受けるという積極的な行動のあとで病気になるよりは、予防接種を受けないで病気になったほうが気分がなのだ。
 
また、投資家や経済ジャーナリストは、
企業が新製品を開発できずに倒産するより売れない製品を開発したことによって倒産するほうが悲惨な状況であると判断する。
 
何年も前に相続した株が暴落したときより、株の選択を誤って、買った株が下落したときのほうが悲観的な状況であるように感じるのも同じだ。
 
また、火力発電所に排ガス浄化装置を取りつけないよりも、
経費節約を理由にこれまで付いていた排ガス浄化装置を取りはずしてしまうほうがひどい行為のことのように感じる。
 
自分の住まいに断熱材を使用しないことよりも、
断熱によって節約できたはずの燃料を使って屋外でストーブをたくことのほうが不道徳だと感じてしまう。
 
収入があったことを申告しないより、納税申告書を改ざんするほうがたちが悪いと思われる。言うまでもなく、どのケースでも、結果は同じである。
 
前に、必要以上に行動してしまう「過剰行動のワナ」について触れた。 
 
「過剰行動のワナ」は「不作為のワナ」の逆バージョンなのだろうか?
いや、まったく逆というわけではない。
 
「過剰行動のワナ」は、状況がはっきりしないとき、矛盾があるとき、不透明なときに起こるものである。
 
そのような状況では、理由がなくても積極的に行動してしまう。
 
だが「不作為のワナ」が起こるときには、たいていの場合、
状況がはっきりとわかっている。
 
今すぐ行動を起こすことで、将来起こりうる損害を防止できる可能性がある。
 
しかし人間は、理性が求めているほどには、損害を回避しようとは思っていないのだ。
「不作為のワナ」を見極めるのはとても難しい。
 
なぜなら、行動を起こさな いことは、 行動を起こすことよりも目立たないからだ。
 
 

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1960年代に欧米で広がりをみせた学生運動は、
「不作為のワナ」を見破り、それに対して行動を起こすよう明確なスローガンをかかげて戦っていた。
 
そのスローガンとは
「問題の一部となるのではなく、解決策の一部となれ」
というものだ。
 
🚗横断歩道を渡る親子がいる!危ない!!
思い切り踏んだブレーキ、でもそれはアクセルだった....。不作為?...........。😎
 
 
NEWS>
ついに不作為のワナにはまったか? 
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💉実は 栄養剤か、痴呆止めか?はたまた劇薬か?
誰にも分かりません。えっ!本人自身も?😮

 

🌌
宇宙の創造と自己存在を意識すると思考が変わります。
短呼吸法......吸って一時止める、吐いて一時止める、反復。これだけで落ち着きますよ。
 
 ...................................................................................................... 

ありがとうございました。 は嬉しいです。😉

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